筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる 陽成院
読み方
つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる(ようぜいいん)
意味
筑波山の峰から滴り落ちる流れがついには男女川の淵となる…そんなふうに私の恋心は積もりに積もって、こんなにも深い思いとなったのです。
決まり字
つく
出典
後撰集(巻11・恋3・776)。詞書「釣殿の御子につかはしける」。
解説
詞書に見えるように「釣殿のみこ(皇女)」すなわち光孝天皇の第三皇女綏子内親王(すいしないしんのう)に送った歌です。のちに綏子内親王は陽成院の妃となるも、若くして亡くなっています。
作者 陽成院
陽成院(868-949)第57代天皇(在位876-884)。清和天皇の第一皇子。母は藤原基経の妹で入内前に17番在原業平と恋愛関係にあった藤原高子(ふじわらのたかいこ)。
元良親王の父。諱は貞明。生後3か月で皇太子となります。9歳で清和天皇の譲位を受けて即位。藤原基経が先代に引き続き摂政を務めました。
一説によると脳に異常があり、奇行が多かったと言います。883年天皇の乳母紀全子(きのまたこ)の子源益(みなもとのみつ)を殿上で殺害したり、馬を愛好し宮中で飼わせた記録が残ります。
こんなことがあって関白藤原基経と陽成天皇の対立は日に日に深まっていきました。「もはや位を降りてもらうほか無い」ついに884年在位8年にして祖父の弟にあたる55歳の光孝天皇に譲位させました。