忍者ブログ

百人一首のお話

011 わたの原

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

011 わたの原

わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 参議篁
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね (さんぎたかむら)
決まり字
わたのはら や
意味
「あの人は大海原に広がる島々をめざして漕ぎ出していったよ」都にいる愛しい人にこう告げてくれ。漁師の釣舟よ。
出典
古今集(巻9 羈旅 407)。詞書「隠岐の島に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける 小野篁朝臣」。
作者 参議篁
参議篁(小野篁)。遣隋使で有名な小野妹子の子孫です。父は勅撰漢詩集「凌雲集」の選者小野岑守(おののみねもり)。孫に書家の小野道風(おののみちかぜ、とうふう)がいます。最高官位が参議であったため野相公(やしょうこう)野宰相(やさいしょう)と呼ばれました。
子供の頃は乗馬ばかりしていて学問に興味が無かったので嵯峨天皇が「父に似ない子だ」と嘆いたといいます。篁はこれを聞いて奮起、以後学問に精を出し文章生、東宮学士と出世していき、834年(承和元年)遣唐副使に任じられます。
しかし破損した船に乗せられそうになったことに腹を立て、大使藤原常嗣(ふじわらのつねづく)と対立。病気といつわって乗船を拒否します。
「やってられない。今更危険を犯して中国にわたったって
学ぶことなんかあるか。もう阿倍仲麻呂の時代とは違うんだぞ…」
それくらいのことはつぶやいたかもしれません。ヘソを曲げた小野篁はさらに遣唐使を批判した「西道謡(さいどうよう)」という長編の詩を作り発表します。
「うむむ…篁、いい加減にせいよ」
こうして篁は嵯峨上皇の怒りを買い、隠岐の島へ配流となります。
不思議な逸話を持った人物でもあり、漫画「鬼灯の冷徹」ではあの世でも活躍しています。
PR

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

最新記事

P R