わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり 喜撰法師
わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり(きせんほうし)
意味
私の庵は都の東南の方角、宇治山にある。こんなふうにノンビリ暮らしているよ。それなのに世間の人は侘しい場所だなどと言うんだ。
出典
古今集巻十八(雑下)「題しらず きせんほうし」
決まり字
わがい
解説
私の庵は、都の巽…東南にある。「しかぞすむ」は「こんなふうに過ごしているよ」どんなふうにか?のんびりと、気楽に過ごしているんです。それなのに人は「宇治山」だけあって、「憂し」悲しい山だなんて言ってるが、こんなふうに、私はのんびり気楽にやってるよ。都のみなさんこそ、あくせく大変そうですなあ。
ひょうひょうとした世捨て人感覚が出ている歌です。「しかぞすむ」に動物の「鹿」を掛ける説もあります。その場合、「私の庵は都の東南にある。鹿もいるし、私はこんなふうに楽しく過ごしていますよ」といった意味になります。
作者喜撰法師は生没年もハッキリしない実在も疑われる人物です。ハッキリ喜撰法師作として伝わっているのは百人一首に採られているこの「わが庵は」だけです。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、小野小町、大友黒主と並び六歌仙のひとりに数えられています。