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百人一首のお話

007 天の原

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007 天の原

天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも 安倍仲麿
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも(あべのなかまろ)
意味
大空を振り仰いで見ると、月が出ている。あの月は私の故郷、春日の三笠山に出ていた月と全く同じ月なのかなぁ。
出典
古今集(巻8・羈旅・406)。詞書に「唐土にて月をみてよみける 安倍仲麿」。古今集には歌の左側に長い注(左注)がある。「この歌は、昔、仲麿を、もろこしに物習はしに遣はしたりけるに、あまたの年を経て帰りまうで来ざりけるを、この国よりまた使まかり至りけるにたぐひて、まうで来なむとて出で立ちけるに、明州といふ所の海辺にて、かの国の人、うまのはなむけしけり。夜になりて、月のいとおもしろくさし出でたりけるを見て、よめるとなむ、語りつたふる。」紀貫之の『土佐日記』にも仲麿の物語とともにこの歌が登場するが初句が「青海原」になっている。
決まり字
あまの
解説
阿倍仲麿は遣唐使として中国に留学し、玄宗皇帝に仕え李白・王維・儲光羲(ちょこうぎ)といった詩人たちと交流を持ちました。
三十六年ぶりに帰国を許された仲麻呂は、日本へ船出するにあたり、、明州(現在の浙江省寧波)で見送りの宴を開いてもらいました。その席で詠んだ歌です。
阿倍仲麻呂(698-770)。奈良時代の遣唐使留学生。中務大夫船守(なかつかさたいふあべのふなもり)の長男として大和国に生まれます。716年19歳で吉備真備(22歳)や玄昉らとともに遣唐使として選ばれ、中国で科挙に合格しますが、帰国の許可が35年降りず、更に帰国の船が難破し、二度と日本の土を踏むことはありませんでした。
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