田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 山辺赤人
たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ(やまのべのあかひと)
意味
田子の浦に漕ぎ出してみたら、富士の山頂に雪が降り続けている。
出典
新古今集・巻6・冬(675)「題しらず 赤人」。原歌は万葉集巻3(317)の長歌「山部宿禰(すくね)赤人、不尽山(ふじのやま)を望(みさ)くる歌」に添えた反歌「田子の浦ゆうちいでて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」。
決まり字
たご
解説
田子の浦に漕ぎだしてみると、真っ白な富士の高嶺に雪が降り続いている。「つつ」は動作の反復です。万葉集の原歌は「田子の浦ゆうちい出て見れば真白にぞ富士のたかねに雪は降りける」であり、百人一首に採られた新古今和歌集の形とは違っています。これも、平安時代にはすでに万葉仮名の読み方は正確にはわからなくなっており、数々の詠まれ方をされていた、その一つのバージョンと思われます。
万葉集の原歌では田子の浦を通って景色が開けたところに出ると、まさに目の前には富士の高嶺に雪が降っている…「ふりける」と力強く断言し、実際に目の前にしている実感を歌っています。
対して新古今集版は田子の浦に漕ぎ出してみると真っ白な富士の高嶺に雪が降り降りしている、そんな遠くから雪が降っている様子が見えるはずもないので、イメージ的なものです。「つつ」など言葉の響きもやわらかくなっています。
『万葉集』の原歌が素直な実景・実感をのびのびと歌っているのに対し、『新古今和歌集』版はそういう実感や素直さは薄れ、かわりに優雅さや美しさが全面に出ています。
『新古今和歌集』の時代の貴族の価値観としては、事実や実感をズバリ歌った万葉調よりも、優雅で美しいことを重んじました。そのため定家は優雅でイメージの美しい『新古今和歌集』版を、百人一首に採用したのでしょう。